【感想】私は柴犬になりたい「無題」

おすすめウェブ小説

【作品情報】

私は柴犬になりたい「無題



【感想】

二十歳くらいの時に、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」を読みまして、

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫) | 村上 龍 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで村上 龍の新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。村上 龍作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。

後輩にその話をする時に、「あれって青春小説だよね」と言ったんです。そうしたら、「え、米兵とドラッグとセックスがですか」と言われて、確かにその辺りが注目されやすい小説ではあると思うんですが、「いや、青春小説だよ」と。どうしようもない日常をどうしようもないと分かっていながら脱け出せない(最後に手掛かりのそれこそ破片のようなものを見つけるけれども)という点においてあれは青春小説であるし私は共感したのです。

私はちょっと病気が判明してしまったので二十一歳以降はどうしようもない日常のどうしようもなさが変わってしまったのですが、ただそれ以前って腐れた日常の息も詰まるような日々を憎悪と無力感に苛まれながら脱け出しがたく送っていて、どんどん時間が経って自分が年齢を重ねることに焦って、それが青春でした。

なんだか、読みながらそのことを思い出しまして。「無題」は詩集ですし、それぞれの詩で書こうとしているものはそれぞれにあると思うんですが、ただどうしようもない日常をどうしようもないと思いながら脱け出せない感は色濃く漂っているなと感じたんです。

「猫の淑女」とか、「涙」の「またお前は命の薪を無駄にした」とか「雨の日」の「こうしていること自体、僕の体が老いていくのを黙って見ているだけだ。僕はそれをただ無駄にしている」とか。そういう所を読むたびに、青春に引きずり戻されてしまいます。私と私は柴犬になりたいさんって違う人間で「無題」でも私と違う感慨をうたっていて面白いなと思うんですけど、その一方ですごく普遍的な作品だなと思っていて、優れた文学ってこういうことなんじゃないかと思うんです。

好きなので、「無題」の中から「雨の日」についてもう少し語ってもよろしいでしょうか。なぜ私はこの作品をこんなに好きなんだろうかと考えていて、きっとこれが作家の話だからというのもありましょうし、身体に火をつけている自分を出してもらっているからというのもありましょうけれど、多分プラスの感情が混じっているというのが大きいのかなとは思います。例えば、「楽しかった」という回顧であったりとか。

そういう感情も同時にあるからこその青春であり人生だよねと思うのです(光があるからこそ影が濃くなったりはしますけど)。美しいもの、光るもの、大事なものが、どうしようもない日常の傍らにやはりあったし、あるし、それも込みで藻掻くんだよなと、なんだか色々思い出した作品でした。

私は柴犬になりたい「無題

コメント

タイトルとURLをコピーしました