【感想】縋十夏「変容或いは死を願うこゝろ」

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【作品情報】

縋十夏「変容或いは死を願うこゝろ

「徒然なるままに書き連ねるは、日々の呟き。」

エッセイにでもしようかと思っていますが、今の所、メモ帳程度のものです。



【感想】

「ああ、十分じゃないか」と思ったのです。久し振りに初めから読み返して冒頭一段落目を読んで。

 変化のない毎日に自分を責めてしまう。ちっとも良くならない自分が嫌で嫌で堪らない。病気のせいにして逃げてばかりのクソ野郎な自分が許せない。助けてほしいと叫べない自分は愚かだ。この苦しみは理解されないと知っているのに誰かに分かって欲しいと思ってしまうのは何故だろうか。何かをしたいのに、結局何も出来ないでいる。未来を思い描くくせに死にたくて仕方がない。今すぐにでも幸せがやってこないかと目を細めて、待っているだけの自分。何かを始めなければ、救いなんてものはないと知っている自分。だから、その何かを始めようと藻掻いているのだけれど、一日の大半をぼうっと過ごすだけ。眠っていたくて。普通の生活が出来なくて。苦しくて、辛くて、もう死んでしまいたくて。でも、それは許されていないから。いや、違うのだ。生きていたいのだ。幸せを享受していたい。震えている。何かを喪うことにいつだって怯えている。もう、終わってしまいたい。ほんの少し、間違えてしまえばこの命は容易く、奪われてしまうだろうから。そんな事にだけはなりたくないのだ。気の狂った自分にこの命をくれてしまうくらいならば、私は正気の内に……。

このどうしようもない日々を、私の気持ちを分かってくれる人がここにいるじゃないかと。このエッセイにも書いていらっしゃいますし前提知識なので書いてしまいますが、この作者さんは私と同じ双極性障害の人です。

私、精神疾患とか自殺ものを乱読してますけど、一話以上読むことはほとんど無いです。こんなこと書くと色んな人に胸倉掴まれそうですが、私は素人が書く病中録の類があまり好きではありません。

書いたことある人なら分かると思いますが、病気と自分の距離感って難しいじゃないですか。ややもすると、「自分可哀想」に陥ったり、読者そっちのけで呻いたりする(別にそれは全く悪くありませんが。好きでないだけで)。その難しいことをやっている作品ってなかなか会えないんです。

じゃあ、この作者さんはその距離感が取れてるんですかと言われると、「あっ、危ないぞ」という時が時々あるんですが大体。大体で大丈夫。私は某所でも書いたんですがウェブ小説にしろウェブエッセイにしろ作品を読まれたい人は腐るほどいる。けれども読者を自分の作品世界に招き入れる気のある人は案外少ないのです。この作者さんは端から招き入れるつもりで書いているなというのを感じます。

このエッセイの魅力的なところとしては、唸る思考のエンジンでしょうか。ものすごい勢いで考えているなというのが文中から窺えます。病を死を生を希望をものすごい勢いで考えている。なんだかそれを読んで懐かしいなと思いまして。

これは経験者に聞くんですが、診断下ってから「数周」の内ってそれこそものすごい勢いで考え事しませんでしたか。私は診断後の一年半ほどの期間が人生で一番何かを考えていました。だから懐かしいと思うんです。

一方で唖然としたりもして。診断後半年くらいの時に先輩と喋っていたんですが、スイッチ入ってて頭と口が高速で回るんです、それで先輩ぽかんとしちゃって。読みながら、ああ私はあの時の先輩と同じ顔をしているのだろうなと思いました。私とこの作者さんは違うんです。

似ているところと違うところ両方いいなあと思いながら眺めています。

……とのんびりしながら書いていたんですが、何のために書くのかという話にこの作者さんとなりまして、その時は分からないと答えたのですが読み返していて「あーね」となるところがありました。何度も何度も思ったはずなのに何度も忘れること。

私の対象読者って十代後半から二十代前半なんですよ。全然実際の読者層と違うじゃん! (私より年上多し)って言われそうですが、そうなんです。私の心の中でメイン層はそこ。

だって私は救いたいんですよ。

いじめられる教室から逃げ出して四階にある図書館の書庫に入ってぼんやり目の前の窓が開かないか考えていた自分とか、病気だと知って涙を流し続けながら横になっているしかできなかった自分とか。小説を書いて過去のそういう自分を救いたいんです。そしてあわよくば、そういう誰かを救いたい、そう思って書いていたはずでした。

だから、第一回最後の一文を見た時に、そうでしたねと思いました。

私はきっと、誰かを救いたいと心から願ってやまないのだ。

縋十夏「変容或いは死を願うこゝろ

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