背景説明
一時期7000文字ちょっとの小説で、「小説家になろう」文芸ヒューマンドラマ部門月間1位をいただいていました。
こちらの小説だったのですが……。
言い方悪いですけど、とてもなろう受けしそうなタイトルというか、非常に”釣れそう”じゃないですか。しかもnoteではもう面倒なので1話にまとめていますけど、小説投稿サイトでは全4話構成で、毎回毎回きっちり引きがあるという、その、自分で言うのもなんですが、”読ませる”ということに関してはよくできた話でした。
それで、カクヨムの方で書き上がったので、なろうにも転載したんです。そうしたら翌日くらいからpv数がおかしなことになって。ぬるぬる伸びて一日3、40000pvくらいになったでしょうか。試しにランキングを確認してみたら載ってました。
そして病みました。
なんで? 嬉しくなかったの? と思われるかもしれませんが、嬉しさよりも病む方が勝ちました。確かに嬉しかったですよ。私は地味な作家ですから、あんなpv数は見たことなかったですし、小説投稿サイトトップ画面のランキングに載ったのはあれが初めてでした。感想だってそれなりに届くし……と、その感想がまずは一つ病んだ大きな要因だったんです。
感想がつらかったです
私は自作に感想を寄せていただくのは大好きで、通知を見るとうきうきしてしまうのですが、あの作品で感想が届いた赤い通知が表示されるのは、はっきり言って怖かったです。量がではなく、中身が。
あの作品はいじめを扱っています。だから、自然と読者の方のいじめに対する考え方とかを刺激してそれが溢れ出してくるんですが、それが私にとっては結構しんどい内容だったのです。ここに書くのが憚られるくらい(もちろん書くにしても感想をそのままここに書くことはしませんが)。
あとは、「笑えた」とか「ざまあ」などといった感想を頂いて、つらくなってしまいました。あの作品、タイトルは確かに所謂「ざまあ」な展開を予想させるものなのですが、作者の意図としては「ざまあ」でない物語を書いたはずなのです。むしろ逆の話だったはずなのです。
なのに、「ざまあ」な作品として捉えられる、紹介される時も「ざまあ系」として紹介される、自分の作品が自分の思ったのと違う、それも真逆の方向に捉えられていく。それが恐ろしくて。ある程度作品が人口に膾炙してしまうと、もう作者の手からは離れてしまうのだという話があるじゃないですか、あれ本当だったんだなって思いました。
読者によって多様な解釈が生まれるのは本来素敵でもあり得るのです。基本的に私は自作への解釈が自分のものと異なるのは肯定したいと思っています。でもその時ばかりは、そんな解釈を許すものを書いてしまった自分が悪いんじゃないか、こんなもの書くべきではなかったのではないかと思いました。
なぜこっちじゃないんだ、と
正直、私はあの作品があまり好きではないのです。だから、あの作品が受けた時に、「こっちとかこっちだったらきっとすごく嬉しかったんだろうなあ」と思ってしまって。そう思っている内はまだよかったのですが、段々「なんであっちなんだ、なんで全力で書いてるこっちとかこっちじゃなくてあっちばかり読まれるんだ」と思うようになってしまいました。
バズったことのある人はひょっとして頷いてくださる話かもしれませんが、バズったコンテンツから自分の別のコンテンツに流入してくれる量って意外と少ないんです。案外他のものに手を伸ばしてもらえないんです。
だから、段々他の作品が”読まれない”ことが気になるようになって。おかしな話です。非常に読まれたという話の筈なのに、読まれないことに苦しんだのですから。思わず病んだ文章をなろうに投稿するくらい精神的には負担でした。
つらつらと書いてきたように、この話はあまりいい思い出ではないのです。もちろん素晴らしい読者・作者の方に出会えましたし、「いざとなればバズるくらいのものは書けるんだな」と思えることは一種救いではあるのですが、ただ極端なことがあるとそれが本来めでたいことであっても調子を崩したりするよねというお話でした。
……次はもうちょっと平静でいられたらいいんですけどね。
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