【講評】夏木郁「食卓はかぼちゃ一色」

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【作品情報】

夏木郁「食卓はかぼちゃ一色

「想像するだけでも忌々しい、散々食べさせられたかぼちゃ。」

幼少期貧しい暮らしを経験した女性の人生と、かぼちゃを巡るハッピーエンド。

神ひな川小説大賞参加作品。



【講評】

変わったバランスで爽やか、かつ品のいい作品だと思いました。戦後日本を生きる女性の歩みをかぼちゃと共に描く作品。やはり目を惹くのは構成です。時制を短いスパンで切り替えるのは物語の没入を妨げたりもするので諸刃の剣ですが、この作品の場合「この人が現代でかぼちゃ料理を作るなんて、一体それまでに何があったんだろう」と彼女の人生に興味を抱かせる仕掛けになっていて良い効果を生んでいると思いました。あと、これを書きながら頭の中で時制通りにエピソードを並べてみたんですけど、かなり時間的には飛んでるんですよね。幼少期の次は九大の学生寮で働いていて、その次はもうお母さんになっている。時制通りに書いてしまうと多分かなりあいだが抜けている印象になってしまうと思うんですが、それも現代とのサンドイッチ構造で解消されています。

驚いた点が二点あって、一つ目はかぼちゃ克服シーンが無かった点。現代のあれは克服シーンではないのかと言われると、ある意味そうだとは思うんですが、なんというかもうその辺りは越えているように思われて。克服の先を行って楽しそうに料理を始めているように見えます。“いつになったら、私はこの忌々しい記憶を乗り越えられるのだろう”というかなりシリアスなところから一気に明るくなっている。その辺りが変わったバランスだなと思いました。途中まで話のメインだと思っていた要素が無かったので。でも物足りないかといえばそんなことは全然なく、鈍重さが無い爽やかなつくりだと感じました。そしてリアルでもあります。

もっとも、克服と言っても完全な克服ではなく、結局食べることはしないという。そこが驚いた二点目で、いいなあと思いました。そこで彼女に完全克服をさせないのは品がいいと思います。彼女が決して物語の道具ではなく、生きている人なのだと、そう感じさせる描写でした。

彼女が日本の“時代”と共に歩んでいることが分かるデティールも相まって、一人の女性が歩む人生の物語を確かな手触りとともに読ませていただきました。

夏木郁「食卓はかぼちゃ一色

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