【感想】縋十夏「生環」

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【作品情報】

縋十夏「生環

いつもの道、潰れた虫の死骸を見つける。それは雨の降った次の日には流れて消える、そんな儚いものでしかないのに妙に哀愁で胸が満たされる。そんなエゴで出来たお話。



【感想】

「死」をテーマに何かを書こうとすると、意識的にであれ無意識にであれ「生」に接近していくよなと思います。生と死が対照を成しているからか、表裏一体だからか、実はごく近いものだからか、つながっているからかは分かりませんが。以前ある有名なインド滞在記の終わりの方に書いてあった(気がする)ことなんですが、自分の存在の起点を生と死のどちらに置くかによって、当然のことながら生死に関する見方って変わってきて。起点を生に置く人々は「死にたくない、死にたくない」と怯えることになる(それをその本は西洋的だと書いていましたが)。一方起点を死に置く人々はどうか、自己の周りが死に満ちていると感じ、それが一種のデフォルトだと思っている人々はどうなのか……ということは確か明確に書いてなかった気がします。ただ、きっと起点を生に置く人々がかえって死を見てしまうのとは反対に、死の中からかえって生の方向を見るのだろうなとは思うのです。

では、この小説の主人公はどうなのか。この人を完全に後者の人だと位置づけるとかえって解釈が狭くなるのかもしれません。ただ、彼は過去を含めた自分の周りのふとしたところに死を見る。それは虫であったり、もう少し大きくて鹿だったりする。そして彼自身も自己が失われていく定めにある人であり、彼もそのことは知っているに違いないのです。そして彼は死の中で死を見つめ、そしてほとんど痛ましいまでにその向こうに生を見る。植物の死してなお続く生のかたち。生物としての生について話してほしくて”死”について訊ねたこと。

――私たちは死んでもまた、この地球に取り込まれて、それで別の生命としてこの地球で生まれるんじゃないかな?

この彼女の言葉を聞いて彼がどんな心境になったのか、それは安易な推察を拒むところがあります。

ああ、でもここまで書いておいて何ですけど、やっぱりこの捉え方はちょっと狭いというかズレている気がします。生から死を見るとか死から生を見るとかそういう二極対立的で直線的なものより、彼はこの世界に死と生の円環を見出しているので。死と生に対する視線はめぐるし、いと小さきものも人の命もその環の中にある。これは地球に過去から幾重にも重なってきた円環の中で彼という人間がどのように生き、そしてまた生きていくのかという物語。

ここからは縋十夏ファンの呟きなんですが、最初読んだ時は、らしくないなと思ったんです。ちょっと作風が変わっているように見えて。でも二回読むと驚くほどらしいというか。少し笑いました。色々と懐かしく。

縋十夏「生環

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